大学紹介学長 令和4年度入学式式辞
北海道教育大学に入学された皆さん、おめでとうございます。
本学の教職員を代表して心よりお祝い申し上げます。
本日ご臨席賜りました来賓の皆様、そして後援会?同窓会の皆様には、心から御礼申し上げます。そして、入学されたお子さんをこれまで励まし、支えてこられた保護者の皆様には、心よりお慶びを申し上げます。
新入生の新たな門出にあたって、三つのことをお話ししたいと思います。
一つ目は、「心のケアにとって大事な友達」のことです。
現役生なら、高校生活の三分の二以上、やりたいと思っていたことを諦めざるを得なかったのではないでしょうか。「どうして私たちが…」と、怒りの遣り場もなく、感染の不安にもさいなまれたことでしょう。様々な調査がその一端を私たちに教えてくれます。その中で、日本赤十字社が行った2021年12月の調査によれば、「孤独を感じる、一人でいるのが不安になる」と答えた高校生が28%、「生きていることに意味を感じない、死ぬことを考える」と答えた高校生が18%もいました。コロナ禍前のデータとの比較がないので、直ちにコロナ禍の影響とは言えないにしても、高校生が不安やストレスを感じながら生活してきたという事実は変わりません。
コロナ禍で人との接触を制限されて、いつ塞ぎ込んでしまう人が出てもおかしくはありません。入学を期に親元を離れ、一人暮らしを始めた人ほど、友人とも離れ、心細さが募ってしまうと思います。いつでも会って話し合える友人をできるだけ早く作れることを願うばかりです。友人が人にとってかけがえのない存在だということを端的に伝えてくれる絵本があります。『ぼく モグラ キツネ 馬』というチャーリー?マッケジーという人の絵本です。
悩みを抱えている男の子が、「こころがいたむときは、どうしたらいいの?」と尋ねると、馬が、「ともだちといっしょにいなさい。その涙と、つらい時間をわかちあう。そのうち希望にみたされて、幸せなきもちがやってくる」と答えます。
男の子とこの馬が会話を重ねながら少しずつ信頼感が深まりつつあるとき、男の子が「ぼくのことをぜんぶしっているの?」と馬に尋ねます。「ああ」と馬が答え、「それでもぼくのことがすき?」との問いかけに、「もっとすきになった」と馬が答えています。何か悩みを抱えていて、それを全部忘れたいと思っている男の子が心を開き、馬を真の友人と感じることができて安心した瞬間だと思います。
そして「だれもが、前にすすむ理由をひつようとしている」と馬がつぶやき、「きみたちの理由は?」と尋ねるシーンがあります。キツネは「おまえら さんにんだ」と答え、モグラが「オイラは、ケーキ」と言いながら、すぐに「ケーキよりいいものをみつけた」と付け加えます。「じゃあ、なに?」と聞くと、「ギューっとしてもらう。そのほうがながもちする」と答えます。絵には男の子がモグラを胸に抱いて、馬が男の子の頭に鼻をすり寄せ、キツネがそれをじっと見つめる様子が描かれています。モグラもキツネもそれぞれ理由は違ってもこれまで独りぼっちだったのでしょう。信頼できる友達ができ、これからは一人じゃないという嬉しさを伝えているような気がします。次のページには、男の子がキツネをギューっとしている絵があり、モグラがそれを「お前も良かったな」といった様子で見ています。
絵本ですから私の解釈も入っています。言いたかったことは、皆さんが今いるキャンパスで、信頼できる友人を早く見つけられたらいいなと思ったということです。いつでも会えるところにいることが大事です。大学ももちろん皆さんに寄り添っています。指導教員の制度、学生生活サポート室、少しでも皆さんが安定した心で学んでもらえるよう、私たちもお手伝いします。
二つ目は、「好奇心を持って広く学んで欲しい」ということです。
私は、大学に入って自分がいかに無知であるのかということを、仲間から思い知らされました。大学という所は自分の専門を深めるところだと単純に考えていました。
理系の私はそれ以来、人文?社会系の本をともかく読まなければと、書店巡りを始めました。ある日、ふとレオナルド?ダ?ヴィンチの画集に目が止まり、ページをめくると「最後の晩餐」や「モナリザ」だけでなく、人や鳥の解剖図、顔の表情筋の図と共に口元の表情を描いたスケッチ、さらには、飛ぶための装置、光の進み方を描いた図、幾何学的な図など、画家というイメージからは考えられない、科学的な図が多くあり、非常に興味を持ちました。
後に、彼は正式な学校教育を受けていなかったことを知りました。そして最近、ウォルター?アイザックソンの『レオナルド?ダ?ヴィンチ』という本の中にこんな記述を見つけました。「彼の才能は常人にも理解し、学びうるものだ。たとえば好奇心や徹底的な観察力は、われわれも努力すれば伸ばせる。またレオナルドはちょっとしたことに感動し、想像の翼を広げた。意識的にそうしようとすること、そして子どものそういう部分を伸ばしてやることは誰にでもできる。」というものです。勇気づけられる解釈です。「天才」という見方ではなく、誰でも彼のようになれるというのですから。
さらに、レオナルドは「理論から演繹(論理的に推論)するより、実験から帰納的に考える方が好きだった」と解説されています。ここは、最近の学校教育や大学でのアクティブラーニングにも通ずるものがあります。まず教育上の課題、あるいは地域の課題を体験を通して捉えさせ、その解決のために必要な理論と知識を学生が自ら自覚して能動的に学ぶようにサポートし、学生が解決策を実践して検証しながら一般化していく。学校なら、教師が知識を与えて、子どもがそれをどれだけ身につけたかを確かめるというやり方ではなく、教師はファシリテーターに徹して、学ぶ者に関心を持たせ、ポイントを考えさせながら主体的な学習を促して、思考?判断を適切な方向に導くというやり方。今「令和の日本型学校教育」という答申の中で求められている「学習観?授業観の転換」に通ずるものです。
皆さんもレオナルドのように、自分の好奇心を研ぎ澄まし、いろんなことに興味を持って学びを深めて下さい。高校までのように「待ち」の姿勢ではなく、自ら進んで関心を持ちながら、必要なものを調べて身につけていくという学習です。関心さえ芽生えれば、学ぶことは楽しいものです。その感覚を味わってもらいたいと思っています。
三つ目は、「人間理解に努めて人の弱さを理解しつつ、SDGsに貢献して欲しい」ということ。
デイヴィッド?クリスチャンの『オリジン?ストーリー 138億年全史』の本には、ビッグバンから現在までの138億年を10億分の一に縮めた年表が付いています。ビッグバンが13年10ヶ月前のこととすれば、地球上の最初の生命誕生が3年10ヶ月前。そしてヒト誕生が105分前。人間が月面に着陸したのが1.6秒前。そこから現在までの間に、核ミサイルの一部を愚かにも発射すれば、ほんの数時間で生物圏の多くを破壊してしまう状況をヒトという生き物は産みだしてしまいました。弱いからこそ持ちたくなってしまうものなのでしょう。
ここまで来ることができたのは、ヒトという生き物しかおらず、それは言語の発達のおかげだと言われています。ヒトはそれにより世代を重ねるごとに急速に新しい情報を蓄積してきました。それを支えたのは、他人に「教える」という行為と学ぼうとする態度があるからです。これをヒトほど高度に行っている生き物はいません。地球上の単一の生物種が地球そのものの行方を左右してしまう「人間の新たな時代?人新世(じんしんせい、あるいはひとしんせい)」を迎えてしまいました。
皆さんには、大学の学びを通して人というものの総体的な理解を深めて欲しいと思います。多様な人間が住む地球の重要性を認識して、人に弱さがあることを自覚しつつ人と協働する心を使い、SDGsのために自分に何ができるかを考えながら地球を破滅に向かわせない世界を作っていってもらいたいと願うばかりです。
最後になりますが、本学は皆さんの課外活動や留学を積極的に支援しています。そのために保護者の皆様には多大な支援を受けています。さらに、同窓会、教職員、多くの企業?団体、経営協議会委員の皆様からも寄付を賜り、それを「北海道教育大学基金」として修学支援事業や育英事業に使わせていただいております。この場を借りて厚く感謝申し上げます。
それでは皆さんが充実した学生生活を送れることを祈念して、私からの式辞とします。
本学の教職員を代表して心よりお祝い申し上げます。
本日ご臨席賜りました来賓の皆様、そして後援会?同窓会の皆様には、心から御礼申し上げます。そして、入学されたお子さんをこれまで励まし、支えてこられた保護者の皆様には、心よりお慶びを申し上げます。
新入生の新たな門出にあたって、三つのことをお話ししたいと思います。
一つ目は、「心のケアにとって大事な友達」のことです。
現役生なら、高校生活の三分の二以上、やりたいと思っていたことを諦めざるを得なかったのではないでしょうか。「どうして私たちが…」と、怒りの遣り場もなく、感染の不安にもさいなまれたことでしょう。様々な調査がその一端を私たちに教えてくれます。その中で、日本赤十字社が行った2021年12月の調査によれば、「孤独を感じる、一人でいるのが不安になる」と答えた高校生が28%、「生きていることに意味を感じない、死ぬことを考える」と答えた高校生が18%もいました。コロナ禍前のデータとの比較がないので、直ちにコロナ禍の影響とは言えないにしても、高校生が不安やストレスを感じながら生活してきたという事実は変わりません。
コロナ禍で人との接触を制限されて、いつ塞ぎ込んでしまう人が出てもおかしくはありません。入学を期に親元を離れ、一人暮らしを始めた人ほど、友人とも離れ、心細さが募ってしまうと思います。いつでも会って話し合える友人をできるだけ早く作れることを願うばかりです。友人が人にとってかけがえのない存在だということを端的に伝えてくれる絵本があります。『ぼく モグラ キツネ 馬』というチャーリー?マッケジーという人の絵本です。
悩みを抱えている男の子が、「こころがいたむときは、どうしたらいいの?」と尋ねると、馬が、「ともだちといっしょにいなさい。その涙と、つらい時間をわかちあう。そのうち希望にみたされて、幸せなきもちがやってくる」と答えます。
男の子とこの馬が会話を重ねながら少しずつ信頼感が深まりつつあるとき、男の子が「ぼくのことをぜんぶしっているの?」と馬に尋ねます。「ああ」と馬が答え、「それでもぼくのことがすき?」との問いかけに、「もっとすきになった」と馬が答えています。何か悩みを抱えていて、それを全部忘れたいと思っている男の子が心を開き、馬を真の友人と感じることができて安心した瞬間だと思います。
そして「だれもが、前にすすむ理由をひつようとしている」と馬がつぶやき、「きみたちの理由は?」と尋ねるシーンがあります。キツネは「おまえら さんにんだ」と答え、モグラが「オイラは、ケーキ」と言いながら、すぐに「ケーキよりいいものをみつけた」と付け加えます。「じゃあ、なに?」と聞くと、「ギューっとしてもらう。そのほうがながもちする」と答えます。絵には男の子がモグラを胸に抱いて、馬が男の子の頭に鼻をすり寄せ、キツネがそれをじっと見つめる様子が描かれています。モグラもキツネもそれぞれ理由は違ってもこれまで独りぼっちだったのでしょう。信頼できる友達ができ、これからは一人じゃないという嬉しさを伝えているような気がします。次のページには、男の子がキツネをギューっとしている絵があり、モグラがそれを「お前も良かったな」といった様子で見ています。
絵本ですから私の解釈も入っています。言いたかったことは、皆さんが今いるキャンパスで、信頼できる友人を早く見つけられたらいいなと思ったということです。いつでも会えるところにいることが大事です。大学ももちろん皆さんに寄り添っています。指導教員の制度、学生生活サポート室、少しでも皆さんが安定した心で学んでもらえるよう、私たちもお手伝いします。
二つ目は、「好奇心を持って広く学んで欲しい」ということです。
私は、大学に入って自分がいかに無知であるのかということを、仲間から思い知らされました。大学という所は自分の専門を深めるところだと単純に考えていました。
理系の私はそれ以来、人文?社会系の本をともかく読まなければと、書店巡りを始めました。ある日、ふとレオナルド?ダ?ヴィンチの画集に目が止まり、ページをめくると「最後の晩餐」や「モナリザ」だけでなく、人や鳥の解剖図、顔の表情筋の図と共に口元の表情を描いたスケッチ、さらには、飛ぶための装置、光の進み方を描いた図、幾何学的な図など、画家というイメージからは考えられない、科学的な図が多くあり、非常に興味を持ちました。
後に、彼は正式な学校教育を受けていなかったことを知りました。そして最近、ウォルター?アイザックソンの『レオナルド?ダ?ヴィンチ』という本の中にこんな記述を見つけました。「彼の才能は常人にも理解し、学びうるものだ。たとえば好奇心や徹底的な観察力は、われわれも努力すれば伸ばせる。またレオナルドはちょっとしたことに感動し、想像の翼を広げた。意識的にそうしようとすること、そして子どものそういう部分を伸ばしてやることは誰にでもできる。」というものです。勇気づけられる解釈です。「天才」という見方ではなく、誰でも彼のようになれるというのですから。
さらに、レオナルドは「理論から演繹(論理的に推論)するより、実験から帰納的に考える方が好きだった」と解説されています。ここは、最近の学校教育や大学でのアクティブラーニングにも通ずるものがあります。まず教育上の課題、あるいは地域の課題を体験を通して捉えさせ、その解決のために必要な理論と知識を学生が自ら自覚して能動的に学ぶようにサポートし、学生が解決策を実践して検証しながら一般化していく。学校なら、教師が知識を与えて、子どもがそれをどれだけ身につけたかを確かめるというやり方ではなく、教師はファシリテーターに徹して、学ぶ者に関心を持たせ、ポイントを考えさせながら主体的な学習を促して、思考?判断を適切な方向に導くというやり方。今「令和の日本型学校教育」という答申の中で求められている「学習観?授業観の転換」に通ずるものです。
皆さんもレオナルドのように、自分の好奇心を研ぎ澄まし、いろんなことに興味を持って学びを深めて下さい。高校までのように「待ち」の姿勢ではなく、自ら進んで関心を持ちながら、必要なものを調べて身につけていくという学習です。関心さえ芽生えれば、学ぶことは楽しいものです。その感覚を味わってもらいたいと思っています。
三つ目は、「人間理解に努めて人の弱さを理解しつつ、SDGsに貢献して欲しい」ということ。
デイヴィッド?クリスチャンの『オリジン?ストーリー 138億年全史』の本には、ビッグバンから現在までの138億年を10億分の一に縮めた年表が付いています。ビッグバンが13年10ヶ月前のこととすれば、地球上の最初の生命誕生が3年10ヶ月前。そしてヒト誕生が105分前。人間が月面に着陸したのが1.6秒前。そこから現在までの間に、核ミサイルの一部を愚かにも発射すれば、ほんの数時間で生物圏の多くを破壊してしまう状況をヒトという生き物は産みだしてしまいました。弱いからこそ持ちたくなってしまうものなのでしょう。
ここまで来ることができたのは、ヒトという生き物しかおらず、それは言語の発達のおかげだと言われています。ヒトはそれにより世代を重ねるごとに急速に新しい情報を蓄積してきました。それを支えたのは、他人に「教える」という行為と学ぼうとする態度があるからです。これをヒトほど高度に行っている生き物はいません。地球上の単一の生物種が地球そのものの行方を左右してしまう「人間の新たな時代?人新世(じんしんせい、あるいはひとしんせい)」を迎えてしまいました。
皆さんには、大学の学びを通して人というものの総体的な理解を深めて欲しいと思います。多様な人間が住む地球の重要性を認識して、人に弱さがあることを自覚しつつ人と協働する心を使い、SDGsのために自分に何ができるかを考えながら地球を破滅に向かわせない世界を作っていってもらいたいと願うばかりです。
最後になりますが、本学は皆さんの課外活動や留学を積極的に支援しています。そのために保護者の皆様には多大な支援を受けています。さらに、同窓会、教職員、多くの企業?団体、経営協議会委員の皆様からも寄付を賜り、それを「北海道教育大学基金」として修学支援事業や育英事業に使わせていただいております。この場を借りて厚く感謝申し上げます。
それでは皆さんが充実した学生生活を送れることを祈念して、私からの式辞とします。
令和四年四月二日
北海道教育大学長 蛇穴 治夫
北海道教育大学長 蛇穴 治夫